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『コザ』という不思議な地名に隠れた沖縄ならではの歴史

2020.07.03

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米軍統治下時代のコザ

 沖縄県民、そして沖縄好きな方なら一度は聞いたことがあるであろう、アメリカ文化の溢れるノスタルジックな街『コザ』。

 今日現在、『コザ』という地区や住所は実際には存在していないが、県民の中にはまだ『沖縄市』(特に胡屋近辺の歓楽街)に飲みに行こう!というよりも『コザ』に飲みに行こう!という人々が数多く存在する。

 確かに一時は過去に『コザ市』として存在していた『コザ』。しかし何故にその名がカタカナ表記だったのか。

 また『コザ』という地名は、『コザ市』が誕生する以前にはどこにも存在していないのにも関わらず、何故突如現れることになったのか。なぜあそこまでアメリカナイズされた街になったのか。

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プラザハウスショッピングセンター

 この不思議には、実は先の沖縄戦という事情が大きく関わっていたのである。

越来という王朝時代の由緒ある土地

 まず、先にも述べたが『コザ市』という一つの行政区が、一時期(1956~1974)ではあったが現在の沖縄市胡屋近辺を中心として存在していたことは事実である。(終戦直後の1945-1946に、漢字を当てた胡差市としての存在もあり)

 コザという名が付く企業や支店名、学校が未だに多いことからもなんとなくは理解できるかと思う。

 そのコザというエリア、実は戦前までは『越来村』という地名であった。琉球王朝時代は『越来間切』。

 いまでも沖縄市に越来という字は存在するが、近年では胡屋や安慶田、園田などに比べると若干知名度的に劣るのかもしれない。

 しかし越来はもともと琉球の中でもかなり由緒ある場所であったのだ。

 琉球王朝時代には、越来グスクという王家直轄の極めて重要な城が存在し、そこはロイヤルファミリーの中でも限られた有力者のみが城主となるような格式高いグスクであった。

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越来グスクからの眺め

 例えば、琉球史における歴代王の中でも、最も偉大な王の一人と言われる『尚泰久王』や第二尚氏の始祖『尚円王』の弟『尚宣威王』もかつて居城していたと言われている。

 しかし現在のそのグスク跡地には、かつてそのような立派なお城が存在していたというような雰囲気はほとんど無く、今尚、城跡公園として史跡およびその名を残してはいるものの、存在感自体は非常に薄い。

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越来グスク跡

 実はこの越来グスクが現在のような姿へ変貌を余儀なくされていく背景にも、そして越来がコザ、沖縄市へと移り変わっていく背景にも、あの忌まわしい沖縄戦が大きく関わっていたのである。

沖縄戦と越来、そしてコザへ

 時は沖縄戦開始直前の1944年、現在のアメリカ軍嘉手納基地に当たる場所には、日本軍によって、アメリカ軍からの攻撃に備えるための飛行基地『中飛行場』が作られていた。

 しかしアメリカ軍が読谷の海から上陸した後、あっという間に占領され、すぐさまアメリカ軍の飛行基地として使われるようになる。

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戦後の嘉手納飛行場(写真:沖縄県公文書館)

 時を同じくして越来グスクも、アメリカ軍の激しい攻撃によって石積みの城壁などが大きく破壊され、さらに戦後にもアメリカ軍による道路整備やインフラ整備などの為に石が削り取られ、かつての立派なグスクとしての存在が次第に消失していったのである。

 アメリカ軍は沖縄本島上陸後すぐに、中飛行場近くの越来エリア嘉間良に、そして胡屋、安慶田、室川などにも広げる形で難民収容所を設置。さらには隣村の美里村古謝あたりにまで軍施設が広がっていたという。

 少し話を遮るが、遡ることアメリカ軍の沖縄本島上陸前、彼らの所有する戦略マップにはすでに、後に上記の収容所となるエリアおよび古謝には『Koza』という地名が振られていた。

 諸説ありはするが、その戦略地図を作成するに当たり、アメリカ軍はアメリカ在住の日系人・沖縄県系人などから聞き取りを行ない、その際の発音の聞き違いや書き違いで『Goya(胡屋)』もしくは『Koja(古謝)』と書くべきところを『Koza』と書き間違えた、という説がかなり有力と言われているのだ。

 そして古謝に設置した軍部施設をスモールコザと呼び、それに対する大規模な難民収容所を『ビッグコザ』と呼ぶようになった。

 そこから、戦後にはその名称を引き継ぐ形で短期間ではあるものの漢字表記の『胡差市(コザ)』が誕生。その後間もなくして、コザ収容所に集められた難民の各地への帰村などに伴い再び越来村となる。

 しかし軍人たちの間では越来村エリアが引き続き『コザ』と呼ばれていたことなどから、沖縄の人間にもコザという名称が定着していくこととなった。

 そして遂には1956年、越来村は住民の意向を反映する形で『コザ村』へと改称し、同年『コザ市』へと昇格を果たす。ここに全国でも非常に珍しいカタカナの行政区『コザ市』が誕生することになるのである。

 その後沖縄の本土復帰間もない1974年、お隣の美里村との合併によって全く新しい市名『沖縄市』となり、現在へと至るのである。

 戦後のコザの、他に類を見ないほどの波乱万丈な激動ぶりはまた改めて筆を取りたいと思うが、これほどまでに戦争とアメリカ文化が複雑に絡み合って誕生した街が『コザ』だったのである。

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右車線時代のコザ

 今でもあの戦後のギラギラしていた日常の空気感や緊張感、酸いも甘いも経験してきた歴史を物語る街並み、煌びやかなネオンの世界に深いノスタルジーを感じ、『コザ』という愛称で呼び続け歴史を継承し続けるコザファンがいることもまた事実なのである。

 (余談だが、沖縄市役所の最上階には展望台があり、そこから沖縄市を一望する眺めは圧巻だ)

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沖縄市役所展望台

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