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沖縄空手と本土の空手との違い 沖縄空手の世界①

船越義珍 沖縄ニュースネット
空手を本土に伝えた船越義珍 提供「新・空手道」

 空手が世界に広まりオリンピック種目にも選ばれた今日、発祥の地である沖縄の空手と日本本土、世界で行われている空手には動きや考え方が大きく違うという事をご存知でしょうか? 沖縄における「空手」は「沖縄空手」とあえて「沖縄」を付けて呼ばれています。この事自体に違いが象徴されていると言ってもいいかもしれません。

 空手は他の武道や武術、格闘技と比べて流派の数が桁違いに多く、まさに多様化、細分化を極めた沖縄発の文化遺産であり、その広がり方は他の文化コンテンツと比較してもダントツ。今回、実は沖縄県人にもあまり知られていないこの世界的にはメジャーな文化「沖縄空手」について解説したいと思います。

空手の3分類

 筆者は便宜上、空手を大きく三つに捉えて分けています。沖縄空手、伝統空手、フルコンタクト空手。そもそも空手とは、動きでいえば突き、蹴り、打ち、受けの技術を持つ武術・格闘技であり、稽古としては基本、移動、型、組手があることは共通です。

 かつて空手は唐手、手(ティー)という名称でした。手には沖縄の地名からとった首里手、那覇手、泊手という種類の手があり、中国の拳法と日本の武術の影響を受けて沖縄で空手が発祥したというのが一般的な空手の通説です。ただ文献資料が乏しく、正確なことが分からないのも、この空手の歴史に神秘的な魅力が付け加えられたと言えるかもしれません。

 三つの空手を簡単に説明すると、沖縄空手は、沖縄の道場で行われている小林流、剛柔流、上地流、古武道。伝統空手は、日本本土で誕生した松濤館流、剛柔流、糸東流、和道流の四大流派といわれるもの。フルコンタクト空手は極真空手と直接打撃制の組手スタイルの空手。沖縄空手が大正時代に日本本土に伝えられて伝統空手の流派が発生し、戦後にフルコンタクト空手が興隆してそれぞれが世界に広まっていったというのが大まかな流れです。

船越義珍と嘉納治五郎の邂逅

 沖縄から日本に空手を伝えた一人の空手家を紹介しましょう。首里手の船越義珍。彼が初めて日本本土に空手を紹介した人物です。東京で空手を紹介した際、これを応援したのが柔道の嘉納治五郎であるというのはあまり知られていないかもしれません。嘉納治五郎はその当時、まだ黎明期である明治日本の教育、文化において絶大な力を持っていた実力者。彼の応援なくして空手が東京で普及していくことはなかったでしょう。船越義珍も嘉納治五郎と同じく教育者であり二人の邂逅があってのことだとも考えられます。

 船越が伝えた空手は首里手であり後に流派として松濤館流とされました。『松濤』とは船越の雅号です。では首里手と松濤館流は同じものではないのでしょうか。ここに沖縄の空手と本土の空手の違いが生じた原因と経緯があります。

 日本本土に空手が伝わり約100年(1922年に船越義珍上京)。沖縄でも空手を伝えていたのは学生中心の若者でした。東京でも同じく学生中心に広まりました。

 元々、沖縄において、空手の前身、『手』(ティー)と呼ばれた時代、稽古は師と弟子のマンツーマンで家の庭やお墓で行われていました。その当時は空手を教わっていることを公言することや空手を使うことも憚れたといいます。武術、格闘技である空手は自身の身心を鍛えるもの、自身の身を護る護身術と捉えられていたのです。

 また、船越の空手の師である安里安恒、糸洲安恒は琉球王国に務めた人物であり、この二人の師である松村宗棍は琉球王国の護衛官でした。広く捉えれば国を護る術として空手は存在していたとも言えます。

空手の日 沖縄ニュースネット
2019年10月の「空手の日」演武会

型を重んじる沖縄空手

 沖縄空手は空手のエッセンスが凝縮された『型』を中心に稽古します。そして、その『型』の動作をどのように使うのかという『型分解』を二人で組んで稽古します。しかし、本土では、実際に空手の技を使ったら人を倒せること、制することが出来るという面に学生たちの関心が集中し組手偏重の傾向が強くなりました。

 若い時分には闘争欲求が大きく、自身を護る護身術よりも身に付けた空手の技を試したくなるのも確かでしょう。そしてその傾向は、道場での自由組手から試合へと発展していき、学生たちを中心に試合を目的にした稽古が中心になっていきました。空手がスポーツ競技化していったのです。船越はその流れを憂慮しつつ止めることは出来ませんでした。

 その当時、空手は一撃必殺、攻撃を当てたら相手が死んでしまうと思われていた背景もあり、攻撃を当てる寸前で止める試合形式で行われていましたが、1960年代には実際に攻撃を当てる空手が出現。競技化にますます拍車がかかっていきました。沖縄空手と本土の空手の一番の大きな違いがこの“スポーツ化”である事は確かでしょう。

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2019年10月の「空手の日」国際通りでの合同演武

 実際、今日の沖縄と本土での道場稽古を見ると明らかな違いは組手稽古です。沖縄での稽古を見ると型と型分解中心で組手はまず行ないません。本土では基本、移動、型、組手が一般的な稽古です。又、沖縄では武器を持って古武道の稽古を行う道場も多く、同じ空手でも流派が違うと型が違い、立ち方、拳の握り方が違います。競技化されて同じルールの元で選手権を争う本土の空手にはこの流派間の違いがほぼ無いといってもいいかもしれません。

 どちらがいい、悪い、どちらが正しい、間違っているということではなく多様な空手が存在しているということですね。もちろん、日本本土と海外でも沖縄空手を稽古している道場はあります。

 沖縄で空手を稽古している人たちが声をそろえて言うことは、『空手は文化』であるという事です。その空手の源流、発祥の地は沖縄であるということは事実なのです。

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